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2008年08月 アーカイブ

2008年08月03日

【ポスト貨幣経済論】

 という論旨の論文の執筆を、この数週間真剣に考えております。
 今回も空気読んでない内容の魔王源ですw

 この方向性のネタは、フリーターで金が無い時期にやると、単なる負け犬の遠吠えと受け止められるだろうから、リーマンやってる今の内に発表しておく必要があると思うんです。逆に10億円とか持っちゃうと「所詮金持ちの道楽、小市民には関係ない」と受け止められて終わりだろうしね。
 ほい、つうわけで本論行きます。

 僕は、大学を卒業してからこの五年ほどの間

「金になる仕事ほど無意義・金にならない仕事ほど有意義」

 というジレンマに悩まされて生きております。納得行くクオリティで作品を完成させても、尊敬されたりはするんだけど、金にはならない。多くの場合赤字に終わってしまう。
 逆に「こりゃ駄目だろ…こんなん作ってなんの意味があるのよ?」と疑問に思うもの程、びっくりする位金になったりする。
「それは何故だろう?」というのが長年の疑問で、それは自分が未熟だからとか、勉強が足りないからだと思っていたのですが、近頃どうも違うような気がしてきたんです。

 それで辿り着いたのが「貨幣経済は収束していくのではないか?」という仮定なのであります。勿論、明日から紙幣やコインが無くなる、みたいな極端なものではありません。
 
 これから100年の間に、徐々に貨幣を介さない物流が経済の主流になっていくのではないか、という事を僕は主張したいのであります。

 その根拠になっているのは「社会の情報化」です。
 情報化社会と貨幣経済はとても相性が悪いと僕は考えています。それは「貨幣というものが何故存在するのか?」を考えれば明白であります。
 貨幣とは「モノとモノの交換を円滑に行う」ために存在するわけです。貨幣が十分に存在しない社会では、モノの流通は【物々交換】によって行われておりました。
 かつて、この【物々交換】というやつは、非常に不便だったわけです。IT技術が存在しない時代、

【Aというモノを持っていて、Bというものを必要としているヒト】が、
【Bを持っていて、Aを必要としているヒト】を
 
 探し出すのは非常に困難でした。で、このようなマッチングを待っている間にモノが劣化するという危険が常にあったワケです。この問題を解決するために、人類は「貨幣」という言わば緩衝体を発明したワケなのであります。

 しかし、IT技術が発達した現代社会では、少なくとも先進国内における物々交換は、それ程不便ではなくなっているのではないでしょうか。【Aを持っていてBを必要としているヒト】は、わざわざ貨幣なんかに頼らなくても【Bを持っていてAを必要としているヒト】をネットで検索すればいいわけですよ。
 こうなってくると「貨幣」の存在意義そのものが危うくなってきますよね。

 小説とか漫画とか音楽とかアニメとか、モノではなくて情報体であるものに関しては、この影響が極大化します。それは何故かと言えば、わざわざ貨幣を介して交換する必要が無いからです。
 IT技術が存在する現在、情報体は距離に縛られず、時間経過によって劣化することも無いと言ってよいと思います。ならば、貨幣を介した交換って、ぶっちゃけものすごく非効率ですよね?情報と情報を直接交換すればいいじゃんっつー話ですよ。

 実際WINMXとかNapsterっていう、このリクツを裏付けるようなファイル共有ソフトっつうものが存在するワケですよ。多分こういうものは、どれだけ法律で厳しく禁止しても無くなる事はないでしょう。何故かって、現行の社会よりも一歩先を行く思想・パラダイムで作られているからです。 
 恐らく我々が生きている21世紀初頭、という時代は、産業革命直後の世界と同じように、テクノロジーの進化が社会を激変させている大転換期の真っ只中に当たります。このような、実にやっかいな時代に生まれた我々は、既に存在意義を失いつつある貨幣経済とヨロシクやりつつも、新たに生まれてくるであろう【ポスト貨幣経済】とも付き合っていかなければならないという、ジレンマを抱えて生きていかなければいけないのであります。

 と、まあ簡単に言ってしまえばこんな論旨のことをもうちょい煮詰めて論文でも書こうかなーと考えている夏の夜です。

 …どー思います?
 青臭いセーガクさんの臭いがプンプンしますか?ww

2008年08月04日

エアコンが壊れたお…

やべぇ。まじやべぇ。


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2008年08月15日

レコーディング中

もうじき曲が完成します。

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新曲「独りで酒を呑め」PV

「独りで酒を呑め」のPVをニコニコ動画にアップロードしました。
ニコニコ動画初投稿なので緊張しています。

YouTubeはこちら。

2008年08月25日

エアコンが直ったお

やべぇ。超うれしい。
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2008年08月31日

お風呂と唄。

「エアコン直った」でブログが放置状態になってしまっているようなので、なんか書く。


 思い起こせば、今年でもう10年も天誅で作詞とボーカルをやっているワケである。この事実に我ながら驚いている。
 何せ僕は楽器は弾けないし曲も作れない。テクノをそんなに聞いていた訳でもないし、クラブなぞプライベートではまず行かない。ミュージシャンとは程遠い生活を送ってきた僕が、気付けば10年間も音楽活動を続けている。いつのまにやら学生時代バンドをやっていた友人達は殆ど引退してしまった。彼等の方が技術も志も上であったにも関わらず、一番いい加減なミュージシャンもどきの僕だけがズルズルと音楽を続けているのは何故なんだろう。

 「運命」の一言で片付けてしまえばそれまでなんだが、もう少し掘り下げて考えてみると「唄うのが好きだったから」という結論が出た。音楽を愛しているというよりも、唄を愛しているから舞台を降りないのだ。僕は「歌を唄う」という行為が好きだ。思えば自宅にいる時も、何かしら唄っている。鼻歌ではない。全力で熱唱しているのだ。このため近隣住民には非常に迷惑をかけていると思われる。

 このように我が30年の人生の中で、時と場所をわきまえず、人の迷惑も顧みず唄い続けてきたわけだが、一番上手く歌えたのはレコーディング中やライブ中ではなく【風呂場】である。風呂場はノープレッシャーで最適な湿度という好環境なので、驚くほど上手く唄えるのだ。
 しかし、どれ程上手く唄えようが、その場所が【風呂場】ではなんの価値も生み出されず、何の成果にも繋がらないわけである。悲しいことに風呂場という環境で自らのポテンシャルを最大限に解放しても、自己満足で終わってしまうのだ。
 このことは、あらゆる人間の活動に関して当てはまる原則といえる。例えばその辺にいるおっさんが、ある日なんだかものすごく体調が良くて道路を全力疾走してみたら、100m9秒5で走れたとしよう。
 この瞬間おっさんは人類史に残る偉業を成し遂げたわけだが、それを確認する術が無い。このような状況下では全ての偉業が水の泡と化してしまう。公式なレコードとして記録が残らない限り、本人の満足感以外何も残らないのだ。【100mを全力疾走する】という行為は、陸上競技大会の中でしか価値・成果には繋がらない。
 このように、あらゆる活動は、適した場所・適したタイミングで結果を出さないと人様に評価して頂けない。実にうざったくて面倒くさい話だが、世の中とはそういうふうに出来ているので文句を言っても仕方がない。


 そういうわけで、なんとか風呂場で出したレコードを表舞台で上回りたい今日この頃である。

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