【ポスト貨幣経済論】
という論旨の論文の執筆を、この数週間真剣に考えております。
今回も空気読んでない内容の魔王源ですw
この方向性のネタは、フリーターで金が無い時期にやると、単なる負け犬の遠吠えと受け止められるだろうから、リーマンやってる今の内に発表しておく必要があると思うんです。逆に10億円とか持っちゃうと「所詮金持ちの道楽、小市民には関係ない」と受け止められて終わりだろうしね。
ほい、つうわけで本論行きます。
僕は、大学を卒業してからこの五年ほどの間
「金になる仕事ほど無意義・金にならない仕事ほど有意義」
というジレンマに悩まされて生きております。納得行くクオリティで作品を完成させても、尊敬されたりはするんだけど、金にはならない。多くの場合赤字に終わってしまう。
逆に「こりゃ駄目だろ…こんなん作ってなんの意味があるのよ?」と疑問に思うもの程、びっくりする位金になったりする。
「それは何故だろう?」というのが長年の疑問で、それは自分が未熟だからとか、勉強が足りないからだと思っていたのですが、近頃どうも違うような気がしてきたんです。
それで辿り着いたのが「貨幣経済は収束していくのではないか?」という仮定なのであります。勿論、明日から紙幣やコインが無くなる、みたいな極端なものではありません。
これから100年の間に、徐々に貨幣を介さない物流が経済の主流になっていくのではないか、という事を僕は主張したいのであります。
その根拠になっているのは「社会の情報化」です。
情報化社会と貨幣経済はとても相性が悪いと僕は考えています。それは「貨幣というものが何故存在するのか?」を考えれば明白であります。
貨幣とは「モノとモノの交換を円滑に行う」ために存在するわけです。貨幣が十分に存在しない社会では、モノの流通は【物々交換】によって行われておりました。
かつて、この【物々交換】というやつは、非常に不便だったわけです。IT技術が存在しない時代、
【Aというモノを持っていて、Bというものを必要としているヒト】が、
【Bを持っていて、Aを必要としているヒト】を
探し出すのは非常に困難でした。で、このようなマッチングを待っている間にモノが劣化するという危険が常にあったワケです。この問題を解決するために、人類は「貨幣」という言わば緩衝体を発明したワケなのであります。
しかし、IT技術が発達した現代社会では、少なくとも先進国内における物々交換は、それ程不便ではなくなっているのではないでしょうか。【Aを持っていてBを必要としているヒト】は、わざわざ貨幣なんかに頼らなくても【Bを持っていてAを必要としているヒト】をネットで検索すればいいわけですよ。
こうなってくると「貨幣」の存在意義そのものが危うくなってきますよね。
小説とか漫画とか音楽とかアニメとか、モノではなくて情報体であるものに関しては、この影響が極大化します。それは何故かと言えば、わざわざ貨幣を介して交換する必要が無いからです。
IT技術が存在する現在、情報体は距離に縛られず、時間経過によって劣化することも無いと言ってよいと思います。ならば、貨幣を介した交換って、ぶっちゃけものすごく非効率ですよね?情報と情報を直接交換すればいいじゃんっつー話ですよ。
実際WINMXとかNapsterっていう、このリクツを裏付けるようなファイル共有ソフトっつうものが存在するワケですよ。多分こういうものは、どれだけ法律で厳しく禁止しても無くなる事はないでしょう。何故かって、現行の社会よりも一歩先を行く思想・パラダイムで作られているからです。
恐らく我々が生きている21世紀初頭、という時代は、産業革命直後の世界と同じように、テクノロジーの進化が社会を激変させている大転換期の真っ只中に当たります。このような、実にやっかいな時代に生まれた我々は、既に存在意義を失いつつある貨幣経済とヨロシクやりつつも、新たに生まれてくるであろう【ポスト貨幣経済】とも付き合っていかなければならないという、ジレンマを抱えて生きていかなければいけないのであります。
と、まあ簡単に言ってしまえばこんな論旨のことをもうちょい煮詰めて論文でも書こうかなーと考えている夏の夜です。
…どー思います?
青臭いセーガクさんの臭いがプンプンしますか?ww

